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Special Interview 山崎直子さん

2010年4月、スペースシャトル・ディスカバリー号で日本人女性としてはふたり目となる宇宙飛行に成功した山崎直子さん。
彼女の足跡は、まさに宇宙に向かって一直線に伸びていたように思われますが、本当はどうだったのでしょうか?
普段あまり語られない成功の裏に隠された困難や努力の日々、それを乗り越えたエピソードなどに迫ってみました。

プロフィール


宇宙飛行士 山崎直子さん
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
有人宇宙環境利用ミッション本部
有人宇宙技術部 宇宙飛行士

1996年、東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻修士課程修了。1996年にNASDA(宇宙開発事業団/現JAXA)に入社し、「きぼう」日本実験棟の開発などに従事。1999年、ISS(国際宇宙ステーション)(*1)に搭乗する宇宙飛行士候補者に選定され、2001年に宇宙飛行士として正式に認定される。2004年、ロシアのソユーズ宇宙船フライトエンジニアの資格を取得。2006年、NASA(アメリカ航空宇宙局)よりミッションスペシャリスト(*2)として認定される。2010年4月5日、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗し、ISSで数々のミッションをこなす。 同年4月20日に、帰還。現在は、JAXAを休職し、東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻の中須賀真一研究室研究生。
1970年千葉県松戸市生まれ。一女(9歳)の母。2011年に第2子が誕生予定。

*1:ISS:International Space Station。国際宇宙ステーション。アメリカ合衆国、ロシア、日本、カナダ及びESA(欧州宇宙機関)加盟11か国が協力して建設を進める宇宙ステーション。
*2:ミッションスペシャリスト。スペースシャトルの運航、ロボットアーム操作、船外活動を行う資格を持つ宇宙飛行士。通称MS。

スペシャルインタビュー 1

体中の細胞が無重力状態を懐かしんでいる感覚

2010年4月14日、「きぼう」日本実験棟船内実験室にて。
山崎さんのミッションSTS-131とISS第23次長期滞在の両クルーが集合。2010年4月14日、「きぼう」日本実験棟船内実験室にて。

スペースシャトル・ディスカバリー号の打ち上げから約8分30秒後、山崎直子さんは無重力状態の機内をフワリと漂っていた。
通常の3倍にあたる3Gの重力から解放された瞬間、「懐かしいような感覚」に包まれた。体中の細胞が喜んでいるような気がした。そして、暗黒の宇宙から見る青い地球は、ただただ美しかった——。
エンジニアとしてさまざまなキャリアを積み、宇宙への切符を手にした山崎さん。誰もが憧れる理工系女子のトップランナーは、「普通の女の子でしたから」とはずかしそうに微笑みながら自らのヒストリーを語り始めた。
「宇宙が好きという素朴な気持ちは小さい頃からずっと持っていました。原点は、父の仕事の都合で北海道札幌市に住んでいたときに参加した『星を見る会』ですね。生まれて初めて天体望遠鏡をのぞいた瞬間の感動は忘れられません。はるか彼方にある月のクレーターに今にも手が届きそうで……。それが小学校2 年生の頃のことでした。その後、出生地の千葉県松戸市に戻ってからも兄と市民会館のプラネタリウムによく通っていましたね」
同じ頃、夢中になったのがアニメの『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』。テレビを見ながら、大人になったらみんな宇宙に行けるのだろうなと思っていた。ただ、当時の山崎さんは宇宙と同じくらい恐竜にも興味があったし、動物も大好き。学校の先生に憧れながらもケーキ屋さんにもなりたい……という状態。この時点では、宇宙飛行士の存在さえ知らなかった。

クリスタさんの夢を受け継ぐことはできないか

スペースシャトル・ディスカバリー号の実物大模型での訓練に備え、オレンジスーツを着用する山崎さん
スペースシャトル・ディスカバリー号の実物大模型での訓練に備え、オレンジスーツを着用する山崎さん

「宇宙飛行士という職業を意識しはじめたのは中学3年生のとき。偶然、テレビでリアルタイムに見たスペースシャトル・チャレンジャー号の事故でその存在を知りました。同機には、民間人宇宙飛行士で高校の先生だったシャロン・クリスタ・コリガン・マコーリフさんという女性が搭乗していました。『先生になりたい』『いつか宇宙に行ってみたい』というふたつの夢を持っていた私は、この両方を同時に叶えようとしていたクリスタさんに興味をひかれました」
彼女の夢は本当に終わってしまうのだろうか……。女性であり、妻であり、母であり、教師であり、宇宙飛行士だったクリスタさん。彼女の夢を私が受け継ぐことはできないだろうか?山崎さんは、そんな思いを密かに胸に秘めたという。
高校時代は硬式テニス部に所属。さらに、気の合う仲間とジャズダンスサークルをつくり活発に活動していた。時に恋バナに花を咲かせたり、マンガを回し読みしたり……。決して、宇宙のことで頭がいっぱいという高校生活ではなかった。
高校3年生になり、本格的に受験勉強をスタートした山崎さんがめざしたのは、東京大学工学部航空学科。しかし、その理由は、宇宙で使うロボットの研究・開発に興味があったから。この時点でも、まだ宇宙飛行士への道はクリアなものではなかった。

入社3年目に宇宙飛行士候補者に応募

ディスカバリー号で作業中の女性宇宙飛行士たち
ディスカバリー号で作業中の女性宇宙飛行士たち

東京大学に入学した山崎さんは学部4年間で宇宙輸送システムの研究、宇宙ホテルの設計などのテーマに取り組んだ。その後、東京大学大学院に進み、航空宇宙工学を専攻。大学院在籍中に1年間のアメリカ留学も経験し、メリーランド大学で宇宙空間で利用するロボットの研究に力を注いだ。
実は、アメリカ留学中に山崎さんは初めてJAXA(宇宙航空研究開発機構)が募集する「宇宙飛行士候補者選抜試験」に応募する。しかし、条件を部分的に満たしておらず、書類選考で落選。スーパーガールだった彼女にもこんな経験があったのだ。
アメリカ留学を終え、東京大学の大学院修士課程を修了した山崎さんは、1996年、JAXAに就職する。そして、社会人になって3年目に再び「宇宙飛行士候補者選抜試験」に挑戦する。
宇宙飛行士候補者は、書類選考に続き、第1次から第3次までの選抜試験を経て決定する。このときの応募者は864名。書類選考を通過した195名が、1次試験で54名に、2次試験で8名に絞り込まれた。そして、最終の3次試験は宇宙飛行士の選抜試験でしか経験できないユニークなものだった。

レゴブロックを使ってロボットをつくる試験

ISSから撮影されたドッキング前のディスカバリー号
ISSから撮影されたドッキング前のディスカバリー号

「最も印象的だったのは、『長期滞在適性検査』。茨城県つくば市の筑波宇宙センターにある専用の訓練設備の中で、最終試験に残った8名が1週間一緒に過ごしました。一度足を踏み入れたら最後、8名は外の世界と一切連絡は取れません。モックアップ(閉鎖環境適応訓練設備)と呼ばれるその施設は、ISS(国際宇宙ステーション)*1での長期滞在を想定したもの。24時間監視された環境下でさまざまな課題に取り組みます。例えば、『ワープロ打ち』。A4判の紙にびっしり書かれた何の意味もないアルファベットの文字を2時間以内に10回繰り返して入力します。また、8名を2 チームに分け、4名でレゴブロックを使ってロボットをつくるという課題もありました。試験終了後、8名の間には、ライバルというより、仲間としての強い連帯感が生まれましたね」
さまざまな課題をクリアし、みごと宇宙飛行士候補者に選ばれた山崎さん。同じ選抜試験では、古川聡さん、星出彰彦さんも選ばれている。

スペシャルインタビュー 2

マイナス20度の原野で2泊3日のサバイバル訓練

着陸直後、ディスカバリー号の隣で微笑む山崎さん
着陸直後、ディスカバリー号の隣で微笑む山崎さん

「ISS搭乗宇宙飛行士」の候補として選出された3人。ISSに行くには、アメリカのスペースシャトル(当時)、ロシアのソユーズ宇宙船のいずれかに乗って行くことになる。そのため、次に待っていたのは両機に乗るための訓練だった。英語はもちろん、ロシア語の講義も受講。さらに、ソユーズが地球に帰還する場合を想定したサバイバル訓練は過酷を極めた。
「モスクワ近郊の原野で2泊3日を過ごしたのは忘れられません。これは、想定外の着陸をした際、救援隊が到着するまで極限状態を生き抜く訓練。1月のロシアは凍りつくような寒さ。マイナス20度の世界でテントを設営し、ひたすら寒さに耐えます。食事は最低限の乾パンと水のみ。3日間の訓練を終え、暖房の効いた監視小屋に戻ったときは、思わず文明のありがたさを実感しました(笑)」
2001年9月、すべての基礎訓練を終え、山崎さんは、宇宙飛行士候補者から、ISS搭乗宇宙飛行士に正式に認定される。その前年、山崎大地さんと結婚。2002年8月に長女・優希ちゃんが生まれた。

コロンビア号の事故で変わった家族の将来像

アメリカでの陸上サバイバル訓練の様子(2004年)
アメリカでの陸上サバイバル訓練の様子(2004年)

共働きの家庭として、仕事と子育てを両立させる日々は忙しいながら順調だった。しかし、2003年2月、スペースシャトル・コロンビア号の事故が山崎さんと家族の計画を大きく変えてしまう。コロンビア号の事故によって、「職場」となるはずだったISSの完成がいつになるかわからなくなってしまったのだ。そこで、JAXAは方針を転換。古川・星出・山崎の3飛行士は、スペースシャトルに加えて、ソユーズの運航技術者資格取得をめざすことになる。宇宙に行くチャンスを広げるための選択だった。日本で暮らし、子育てを続けながら、訓練を受け、やがて何らかのミッションで宇宙へ行く……。山崎さんの思い描いていた将来像は白紙となり、運航技術者資格取得のため、ロシア、アメリカでの長期滞在が必要になった。
「結局、私がロシアで訓練を受けた7か月間、夫と娘が日本で“父子家庭”生活を送り、その後、アメリカでの6年間の半分近くは、私が娘とヒューストンで“母子家庭”生活を送りました。アメリカで訓練を開始した当時、まだ2歳だった娘は、急に体調を崩すこともありました。保育園に行けず、同僚の宇宙飛行士に預かってもらったのをよく覚えています」

おめでとう!きみの搭乗が決まった

「きぼう」運用管制室で土井隆雄宇宙飛行士と交信(2008年)
「きぼう」運用管制室で土井隆雄宇宙飛行士と交信(2008年)

そんなとき、山崎さんを励ましてくれたのがNASAの女性宇宙飛行士、ケイディさん。NASAでは、宇宙飛行士に子どもがいるのは珍しくない。ケイディさんもそのひとり。彼女は、子育てをしながら、宇宙飛行士を続けることについて、「インポッシブルじゃない。チャレンジングなだけ」と言い放った。「不可能じゃない、挑戦する価値があること」。この言葉を聞いて、山崎さんは体の奥から力がわいてきたという。
NASAでの1年8か月に及ぶ厳しい訓練の結果、2006年2月に山崎さんは、スペースシャトルのミッションスペシャリストとして認定される。
2008年3月、山崎さんは土井隆雄宇宙飛行士を乗せたスペースシャトル・エンデバー号の打ち上げを見守るため、フロリダのケネディ宇宙センターにいた。傍らには、夫の大地さん、娘の優希ちゃんがいた。
そして、同年10月、NASAから待望のメールが届く。「おめでとう! きみの搭乗が決まった」
宇宙飛行士候補者に選ばれてから、9年9か月の時が流れていた。「家族や親戚、友人、同僚といったまわりの皆さんの理解と協力があって、宇宙飛行士を続けることができました。特に、2004年にアメリカでの訓練が本格的に始まるときに、主人が会社を退社して、家族ができるだけ一緒にいられるように努力してくれたことが大きいですね。これには本当に感謝しています」

地球で生きているのは本当に奇跡的なこと

ロボットアームシミュレーション訓練の様子(2009年)
ロボットアームシミュレーション訓練の様子(2009年)

幼い頃、宇宙は漠然と「すごいもの」だった。手の届かない“かっこいい世界”だった。実際に宇宙に行ってみると、そこは地球の感覚では語れない神秘のヴェールに包まれた世界だった。「死」という言葉が相応しい暗黒の宇宙空間に地球だけがまばゆいばかりの生命の光を放っていた——。
「今、地球で生きていることが本当に奇跡的なんだなって、実感しましたね。もっともっと多くの人が宇宙から地球を見たら、みんなで力を合わせて地球を守っていけるようになるのでは……。そんなことを考えました。宇宙から地球を見る経験は、想像以上に私の価値観を変えてくれました」
山崎さんにこんな質問をしてみた。「宇宙飛行士になっていなかったら?」。間髪入れずに返ってきた答えは、「うーん、(宇宙工学の)エンジニアを続けていたでしょうね」。やはり、筋金入りの宇宙のスペシャリストなのだ。

ママは大きくなったら何になりたい?

「ずっと宇宙飛行士にこだわっていたわけではない」と彼女はインタビュー中に繰り返し語った。しかし、チャレンジャー号の事故をリアルタイムで目撃したときから、常に「宇宙」は特別な存在として頭の中にあった。思えば、JAXAに入社して、3年後に宇宙飛行士選抜試験があったのもひとつの偶然。事実、あの後、10年間、募集は行われなかった。ロシア、アメリカでの長期訓練も家族やまわりの仲間のサポートで乗り切った。そして、ロボットアームのスペシャリストとして、厳しい訓練を続けた彼女にぴったりのミッションが舞い降りた。まるで運命に導かれるように……。
「宇宙に行く前、娘の優希と夢について語ったことがあります。当時7歳の娘は『私も宇宙飛行士になりたい』と言ってくれました。『宇宙に行ったら、地球の写真をたくさん撮ってきてね』とも言いました。そして、こう続けたのです。『ママは大きくなったら何になりたいの?』。思わずドキッとしました。大人になったら夢を追いかけるのはおしまいなんてルールはありません。私は今も夢の途中にいます。まず、今回のミッションをもっと多くの人に伝えたい。また、もっとたくさんの人が宇宙に行ける時代の到来のためにできる限りのことをしたい。宇宙にも再び戻りたいし、将来、月面基地が建設されたら、そこから地球の子どもたちに向けて宇宙授業もやってみたい……。私の夢はまだ始まったばかりです」

山崎さんは宇宙でどのようなミッションを行ったの?

私が参加したSTS-131(19A)ミッションの目的は、ISSの完成に向けた組み立て作業を行うこと、そして、宇宙実験に必要な機材や試料、ISSに滞在する6名の宇宙飛行士の生活備品などを補給することでした。物資は多目的補給モジュール(大型の容器)に入れられて運ばれ、ISSに取り付けて運び出された後に、ISSで不要になった物をモジュールに搭載します。その中で私の主な任務は、2種類のロボットアームの操作です。ひとつはスペースシャトルのロボットアームを用いて、打ち上げ時の衝撃でスペースシャトルの耐熱タイルが損傷していないかの点検。ふたつ目は、ISSのロボットアームを使って、多目的補給モジュールをISSに取り付け、地球に帰還する前にはモジュールを ISSから取り外して、スペースシャトルの貨物室に格納しました。さらに、クルーの活動風景や地球などをカメラで撮影する任務もありました。
※原稿作成にあたり、山崎直子さんの著書『なおこ、宇宙飛行士になる』(角川つばさ文庫)を参考にしました。

写真提供:JAXA、NASA

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